公務員やめてエンジニアとして働くことになった経緯について

体験談

皆さん「人生の目標」がなにか考えたことがあるだろうか。
(この切り口で話すと、どうも胡散臭く聞こえてしまうのがなんとも悲しい…。)

「年収●●万円になりたい」
「自分の好きなものに囲まれて暮らしたい」
「仕事せずに遊んで暮らしたい!」

誰しも少なからずこういった願望があると思うが、
私の場合は「ネガティブなことで悩まない人生を送りたい」というものだった。

シンプルなようでいて、これには金銭的問題・精神的問題から解放されることと考えると、
我ながら結構多くを求めてしまっていたと感じる。

避けることができるストレスはとにかく減らしたかった、というのが素直な意見だ。

自営業を営む親の元で育ち、好不調の波を身近で見てきた自分としては当然だったかもしれない。

すり寄ったり裏切ったりな人間模様や、それに影響を受けて金銭的な問題を抱えたり。
そういうことに悩む時間や精神的なダメージが心からもったいないと考えていたのを覚えている。

◆ビジョンが甘かった学生時代

「経済的理由や人間関係で悩まない人生を送りたい」と言ってみたものの、
では何をすれば実現できるのかという話。

当時、自分は高校生だったが、なりたいものを問われてもピンとこないという状態だった
「安定して稼げること」。これを至上命題に動いていた記憶がある。

社会を知らないながらも、いち早く金を稼ぎたいという考えがあったので、
大学にはいかないことを前提に、将来的に役立つであろう技術・資格などが身につく実業系の高校に通った。

残念ながら高校在学中にはやりたい仕事は見つからず、
勿論、この先どんなライフプランを描いていくかなんて全く考えられていなかった

結局、最終的には周りの勧めがあって地元の官公庁を受験した。
当時は「安定的に稼ぐ」という意味では、公務員は最適解であるように思えたからだ。

ただ今考えると、就職先を選ぶ条件として、
以下のような観点を持てていたかというと100%NOだった。

・将来性はあるか
・興味を持てる仕事内容か
・昇給の仕組みは明確か
・給与の上がり幅はどのくらいか
・残業とか有給とか…etc

社会人になって間もない時期は、稼いでいるという事実だけでも充足感があったし、
自分が求める人生に向けてのスタートラインには立てたと感じていた。

だが、いろいろ見通しが甘かったと痛感しだすのはしばらくしてから。

◆自分の弱さを知った公務員時代

何年か働くにつれ、ようやくいろんな現実が視えてくるフェーズに立つ。
抱いてた期待を一つずつ答え合わせをしていき、その度に「思ってたんと違う」が生まれる日々

これは正直、学生と社会人の大きな壁であるという他ないと思う
(リサーチはできたはずだ、という厳しい意見もあるかもしれないが…)

それほどに新社会人の私は世間知らずだった。

公務員は年功序列のため、新人は額面14-15万程からのスタートとなる。

数字としては理解している。
だが、これが一般的にどのような生活を送れる代物なのか。これがわかっていない。

また、ご存じの方も多いと思うが公務員は仕事量・成果に比例するような給与体系ではない
どんな成果を残そうが昇給は給与テーブルで規定されていて特例はほぼなし。

では残業代で稼ぐか…という思考になってしまいがちだが、
部署によってはサービス残業が常態化しているところもある。

実際に稼ぎ、負担し、残った金額を見て初めて知る。
この金額とこのペースでは金銭的余裕を手に入れることは到底不可能であると。

管理人
管理人

不可能は言い過ぎかもしれないが、かなりの時間を要するということは痛感した

また、組織的な風潮もモチベーションの低下に拍車をかけた。
というのは「長く勤めさえすれば給与が上がっていく」という側面からして、
皆が勤勉に働くわけではないからだ。

ある意味適応していると言っていい。
いかに持ち仕事を減らすかを考えることで、増えない給与をせめてコスパよくしようという話だ。

官公庁のような組織は、仕事がスクラップ&ビルドでなく、ひたすらビルド&ビルドなわけだが、
この仕事の押し付け合いの風潮と相まって、若手からしてみると地獄のような環境になってしまっている。

ひたすらに増え続ける仕事を必死にこなすが、
残業したとしても当時一人暮らしなど到底望めない給与。

横では仕事をしているのか、していないのかよく分からないベテラン陣。

一度不満が生まれると、あっという間に膨らんでいくんだとこの時知った。
生まれてこの方健康が取り柄だった私が、いとも簡単に「病み」モードに大変身してしまった。

◆ゴールが程遠いことに気づく

給与からいろいろ差し引かれ、貯金ができる額はほんのわずか。

当時実家暮らしだったが、実家へ生活費を入れて車も必要(田舎には必須…)なため、
手元に2-3万でいろいろとやりくりするような生活が続いた。

ここでは割愛するが、別事情で大きい負債もあったため、余計不安に拍車をかけていた。

頑張って能力を高めればそれに見合った給与がもらえるはず

という世間知らずな考えとリサーチ不足が、
自分が望む真反対の業界への就職を招いてしまった
わけだ。

役職に就けば給与は上がると思われるだろうが、公務員の年功序列は非常に道のりが長い
また、これまで上がった実績があるからといって必ず上がるとは限らないのも現実だ。

地方自治体の給与は住民の税金が財源。

少子高齢化で尻つぼみな人口推移を見ていくと、
果たして、望みである「定期的な昇給」すらも続くのだろうかという危機感が生まれた。

結局、自分は「お金が稼げればいい」わけではなかった。
成果にあった評価をしてほしいし、その結果昇給を狙いたいし、若いうちにもチャンスが欲しい。

社会に身を投じて初めて、いろいろと望むものがあったのに気づくことができたのだ。

◆民間かつ異職種に挑戦

民間企業であれば成果に対しての還元がしっかりとあるはずだと転職を決意する。
この考えも安直だと思い知ることになるが、また別記事で書ければと思う。

体感2018年ごろくらいからやたらと打たれるようになった「エンジニア関連広告」。
これがIT技術職を知るきっかけになった

正直、広告にあるのはうさん臭い文言ばっかりだった記憶。

管理人
管理人

「〇ヶ月でフリーランス!」とか「爆速で月収100万円!」とか…(笑)

怪しい待遇面の話はさすがに鵜呑みにしなかったが、
ニーズが高まっていること、成長性が望めること、
そして技術を持って問題解決にあたるという仕事内容に惹かれ挑戦
をした。

そこからはいろいろとリサーチ・学習を重ねて転職活動を行った。
地方に住みながらのIT転職は非常に難航したのを覚えている。

これも機会があれば記事に残していきたい。

◆現状と最後に

公務員辞めてもう5年ほどになるが、現在はしっかりとエンジニアとして働くことができている。
そして、当時抱えていた様々な悩みは有難いことにほとんど解消することができた。

ただ、辿り着くまでにあまりにも紆余曲折が過ぎたと感じる。
職歴も全くもってきれいなものではない。

あらゆる選択肢を外してきてしまったように思ってしまうが、
これも結果的に自分なりの正解への道であったと考えたい。

フリーランスになったわけでも、爆速で月収100万円になったわけでもないが、
これまでの軌跡を今後の記事でネタ昇華させてもらいながら、
同じような境遇の方に役立つ情報になればと思っている。

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